はじめに(1)
沖縄からの報告 〜アジア的世界への旅〜(3)
特別支援教育を考える(8)
直線の時間、ジグザクの存在—「自閉症」をめぐる考察—(14)
教育私企業化(20)
昨今の教育政策における「心」とは何か(30)
自己実現をめぐって(38)
臨床心理資格論考 その2(48)
臓器移植法「改正」の論理を検証する —現行法批判を踏まえて—(58)
日本社会臨床学会第14回総会のご案内表紙裏
編集後記(69)
いよいよ、第14回総会が、5月20日・21日、沖縄大学(沖縄県那覇市)で開催される。大体の恒例だが、当該年度の1号は、総会に先んじて、総会への招待の気持ちを込めて、読者の皆さんにお届けすることになっている。
したがって、冒頭の論文「沖縄からの報告—アジア的世界への旅—」は、次回総会の実行委員長で、沖縄大学に勤務する加藤彰彦のものだが、アジア的世界へと広がる、沖縄の島々への旅の体験と思索を記している。
柴田啓文の「特別支援教育を考える」は、前回総会シンポI「なぜ今、新しい『障害』概念が必要なのか」(13巻2号掲載)で提起された幾つかの問題点に着目し絡みながら、今日三重県四日市市にも進行する特別支援今日行くの実態と問題を報告している。
猪瀬浩平の「直線の時間、ジグザグの現在—「自閉症」をめぐる考察—」は、「自閉症」とよばれる兄との暮らしを振り返り、また日米での取材も基に、今日までの「自閉症」理解を批判的に論じている。
佐々木賢の「教育私企業化」は、21世紀に入って英米において、教育の私企業化が本格的に展開していること、日本においても、追いかける形で進行していることを報告し、そのなかに置かれている若者たちの問題状況を摘出している。
小沢牧子の「昨今の教育政策における『心』とは何か」は、80年後半からの新自由主義の広がりに伴う「心」の強調に起点を置きつつ、90年代後半から今世紀にかけて、国家主義的な「心の教育」が登場してくる過程を分析している。
中島浩籌の「自己実現をめぐって」は、林延哉の論考「“自己実現”は本当に問題か?」(13巻2号掲載)に応えて、「自己実現」を要請してくる現在の社会状況を描きながら、この概念そのものがもつ圧力、規範性を問題にしている。
三輪寿二の「臨床心理学論考 その2」は、臨床心理士および医療心理師の国家資格化問題に着目し、同業者間の相克と、そこにおける「医師の指示の下」ということの問題を論じているが、軸の問いは「臨床心理・心理臨床」とは何かになっている。
篠原睦治の「臓器移植法『改正』の論理を検証する—現行法批判を踏まえて—」は、「改正」の医療要請上の意図を明らかにしながら、「死なして、生かす」医療になっている脳死臓器移植が合理化されていく過程とその問題を検証している。
今回は、「ここの場所から」欄や「映画や本で考える」欄に、一本も原稿が入っていなくてさびしい。予定原稿が届かなかったということもあるが、といって、積極的に掘り起こすこともしなかったので、編者側の怠惰と反省しないわけにはいかない。結果として、論文八篇のみとなったが、次回総会会場、沖縄からのメッセージを冒頭に、総会や学習会、そして既掲論文に応答するものが並んだし、社会・政治状況、そして私たちの暮らしへの緊張的発言も行われて、対話・対論しながら一緒に考える雑誌に少しはなったかなと自らを励ましている。また、「ジグザグの現在」としての「自閉症」論や「教育私企業化」など、新しい概念、テーマも登場して、編者は、読者に先んじてエキサイトしている。