はじめに(1)
近年の「ケア重視論」の問題性(2)
予後を生きる(14)
大学で、学生と「ともに生きるかたち」を考えるために(20)
「死」について考える(32)
〈座談会〉障害者自立支援法の成立と私たちの暮らし(36)
沖縄総会に参加して(48)
温度差(53)
加速される能力主義にオタオタしつつも…(57)
国会前で(59)
2006年教育基本法をまえにして(61)
教育基本法「改正」に関するアンケートから「国」を垣間見る(64)
「改正」教基法の成立直前の職場から(66)
一見「軽微」な事件のなかの「重大」な構図(72)
ロシナンテ社がこだわってきたこと(76)
精神病/仮想空間/暮らす/つながる(79)
パンフレット「イタリア保安処分体験者の手記」を発刊しています!(84)
セルフ・ドキュメンタリーという自己表現(86)
『学校再発見!』からの発見(89)
藤野豊『ハンセン病と戦後民主主義』を読んで(92)
著者を知ることの意味(95)
村瀬学『自閉症〜これまでの見解に異議あり〜』を読んで(98)
『近代化のねじれと日本社会』を読んで、グローバライゼーションと格差社会を考える(100)
日本社会臨床学会第15回総会のご案内表紙裏
編集後記(「14巻3号の正誤表」含む)103
投稿のお願い裏表紙裏
誤 | 正 | |
---|---|---|
p.22左25行目 | Yさん | Xさん |
p.22右15行目 | 彼 | Xさん |
p.22右19行目 | 彼の話 | Xさんの話 |
p.22右20行目 | 彼なら | Xさんなら |
ただいま、『社会臨床雑誌』15巻1号をお届けする。編集作業が遅れに遅れてしまって、第15回総会までに出さなくてはならない本号まで、続けて、三冊、月刊誌的に発行しなくてはならない羽目になってしまった。読者の皆さんには、目まぐるしい話になってしまって申し訳ない。一方で、編集側もてんてこ舞いだった。特に、追い込まれ、追い込まれの日々だった。だから、正直、ホッとしている。
といって、お詫びの気持ちは表したいと思っているが、苦労話、こぼし話をしたいのではない。まずは目次を眺めていただければと思うが、本号も、書き表したい、そして、読んでほしいと願っている著者たちの論文、エッセイ、報告、そして、討論からなっていて、編者たちは、著者たちへの感謝と、読者に一刻も早く届けたいとのはやる気持ちでいっぱいである。
本誌は、竹内章郎が、近年、「延命医療」中止問題の渦中で「ケア重視」の言説が強調されている危うさを批判的に分析するところから始まっている。原田牧雄は、そのことを引き受けるかの如く、医療の下にコントロールされる「死」への思索を深めている。猪瀬浩平は、すでに14巻1号で、発達論的な理解に立つ「自閉症」論を批判したが、今回、「自閉症」という予後に限定されて生きる親子の暮らしを思索している。崎原秀樹は、ご自分の職場、大学での「発達障害」者との「ともに生きるかたち」を探っている。
昨年暮れ、同年成立した障害者自立支援法の↓で暮らすことになった「障害者」家族の様子と問題を語り合うときを持ったが、その記録を掲載した。
14巻2号で、第14回沖縄総会の全記録を一部欠いたまま掲載したが、今回、南雲和子と桑江博幸が、そのときを振り返っている。
「改正」教育基本法が不本意に成立してしまったが、本号では、大垣智紀、岡山輝明、竹村洋介、三輪寿二、篠原睦治が、このことをめぐる「これまで」を振り返り「これから」を探って、各自の気持ちと見解を述べている。〈ここの場所から〉欄では、浜田寿美男が「痴漢事件の現場から」、四方哲がご自分の職場から、根本俊雄が「精神病」者との出会い、つき合いから、リアルな体験と示唆的な思索を語っている。また、山本真理が、パンフレット「イタリア保安処分体験者の手記」を紹介している。
〈映画や本で考える〉欄では、藤澤三佳がセルフ・ドキュメンタリー映画『アヒルの子』、金澤ますみが岡崎勝の『学校再発見!』、関根隆司が藤野豊の『ハンセン病と戦後民主主義』、青木純一がやはり藤野の『忘れられた地域史を歩く』、佐々木賢が村瀬学の『自閉症』、阿木幸男が竹村洋介の『近代化のねじれと日本社会』で、興味深い思索を展開している。
どこからでも気楽に読み出していただいて、気がついたら全部読んでしまったなどと言われるような雑誌であればと、祈るような気持ちで、今はいる。願わくば、第15回総会で、お会いできれば幸いである。