社会臨床雑誌第15巻第2号(2007-12-02発行)

はじめに(日本社会臨床学会編集委員会)(1)

 

〈日本社会臨床学会第15回総会報告〉

シンポジウムI 生命操作の現在を検証する(古賀典夫・高石伸人・堂前雅史)(2)

記念講演 グローバリズムと心性操作(佐々木賢)(28)

シンポジウムII 教育とグローバリズム(小沢牧子・中島浩籌・岡崎勝)(39)

日本社会臨床学会第VII期運営委員会総括(70)

2006年度会計報告(77)

 

〈論文〉

水俣へ〜入門の一歩手前で〜(丹波博紀)(79)

社会福祉活動における新たな労働者弾圧の動き〜社会福祉法人の事務局長解職事例にみる「懲戒権・人事権」の乱用について考える〜(飯島勤)(88)

 

〈ここの場所から〉

言葉のズレを埋めるには時間が大切(池見恒則)(105)

まか不思議な世界(4)〜時代の差別的風潮に抗しつつ、時代に落とされていく〜(赤松晶子)(109)

 

〈映画や本で考える〉

「うさぎ!」台風再上陸!?〜たくさんの顔の見えない人々と一緒に灰色とその手下を吹き飛ばそう〜(稲垣豊)(114)

 

日本社会臨床学会第15回総会のご案内表紙裏

編集後記(122)

投稿のお願い裏表紙裏

はじめに

日本社会臨床学会編集委員会

師走のとき、『社会臨床雑誌』15巻2号をお届けする。

この春、和光大学(東京都町田市)で、第15回総会を開催した。ここ数年、繰り返し考え続けてきた「生命操作と優生思想」および「教育におけるグローバリズム・・グローバリズムの中の教育」に焦点を当てながら、シンポジウム二本と記念講演を持った。本号では、その記録をお届けする。掲載順は、プログラム順のシンポI、記念講演、シンポIIとした。シンポIIは、記念講演を受けつつ、開かれた。

本誌昔年のこだわりだが、今回も、当日の発言を、出来る限り丁寧に再現しようとした。二日間にわたる発言を失敗することなく録音し続けることは気を遣う作業であるが、まずは、そのことを成し遂げてくれた和光大学の学生と卒業生などからなる総会実行委員会の皆さんに感謝したい。次の作業は、テープ起こしだが、青木寛明さん、小椋優子さん、尾崎昴哉さん、下河辺明子さん、吉田慎一さんが丁寧に起こしてくださった。そして、発題者の皆さんには、まとめの作業、校正にもお付き合いいただいた。感謝、感謝である。

ところで、記録の作業に直接関わった者たちは、編集作業中に、自分の発言に手を入れるチャンスがある。一方、大半のフロアーの発言者には、そのような機会がない。そのことはいつも気がかりなことである。誤解、誤記のないようにと心がけたが、気づかれたことがあれば、気楽に申し出ていただければ幸いである。

実は、来春の第16回総会に先んじて、16巻1号を発行する予定だが、この号では、本号に掲載した「第15回総会報告を読んで」という小特集を組みたいと願っている。全体を通してでも、一部に着目してでも、ご感想、ご意見をお寄せいただけないだろうか。2000字から4000字程度で、2月末日までに、事務局までに、お届けください。

本号では、二つの論文を掲載した。丹波博紀さんは、水俣に出入りしながら、足下の暮らしを点検し、また、「学を問う」という、過程としての「学のあり方」を探っている。飯島勤さんは、福祉の現場で働きつつ、受けた不利益処分を、経営者と労働者の関係の中で、ていねいに振り返りながら、一方で、この社会的背景としての「障害者福祉」の現状を示唆している。

池見恒則さんは、予備校・塾などで、若者と出会いながら、老若がつながりあう言葉を探している。赤松晶子さんは、精神病院での自分たちの仕事が精神障害者と関係でなんであったのかを語りだしているが、今回で、四回目である。稲垣豊さんは、小沢健二さんの「企業的な社会、セラピー的な社会」(14巻3号)に触発されながら、見える関係を超えた人々の連帯を探っている。小沢論文に対する反響は、ずっと続いていて、次号でも、その幾つかを紹介できる予定である。

読者の皆さんには、来春からも、本誌へのご協力をお願いしながら、まずは、本号の処々に立ち寄ってくださることを心から念じている。(2007/11/13)